端午節

昨日遅く出張から帰ってきた。今日から三連休である。端午節は中国において重要な祝日である。旧暦5月5日であるが、子供の日ではない。中国の子供の日は6月1日である。

端午節の由来について書こう。それは中国の紀元前の戦国時代の話であり、三国志、キングダムのころ、秦が中国統一を成し遂げる戦国時代末期の話である。楚の国に屈原という詩人がいた。名門の生まれで頭脳明晰で早くから政治の要職に着いた。屈原は親斉派で斉と連携して秦に対抗すべきと主張していた。一方、楚国内には親秦派も多く存在していた。その頃の秦には張儀という策略家がいて対秦同盟を壊しにかかっていた。屈原は張儀を疑い秦と組むことに反対したが、親秦派に押し切られてしまい、首になる。結局、楚は張儀に騙されて滅ばされてしまう。紀元前278年、秦将白起が楚都郢を陥落させた。
これは楚にとって致命的打撃だった。屈原は楚の衰退を憂え続けていたため、この事件によって完全に絶望したとされる。
そして同年五月五日、石を抱いて汨羅江へ身を投げたという。伝承では、人々は屈原を救おうとして舟を出し、さらに魚へ遺体を食べられないよう、葉で包んだ米を川へ投げ入れたという。これが、・龍舟競渡(ドラゴンボート競技)・粽(ちまき)の起源になったとされる。

しかし、端午節はそんな歴史的な由来だけではない。中国の今どきは一年で最も「陽」が強い日に当たる。中国では一年の頂点に当たり、後は落ちるだけだ。邪気や疫病も増えてくる時期であり、人々はヨモギや菖蒲を玄関に飾り、邪気や疫病を祓う。この「陽極まれば陰に転ずる」という「陰陽説」は常にこの世界が移ろっていることを表している。ただ「陰」と「陽」は「陽」が良くて「陰」が悪いと言っているのではない。絶望でも極まれば反転する。人生もそんなものなのだと説く。人生が絶頂だという時、次に来る悪いことに備え、絶望したとき、これ以上悪くならないと思うことだ。

端午節は中国の長い歴史の中で土壁のように何層も塗り固められてきた文化である。屈原が絶望から自死したこと、絶望は必ず好転すること、深い思いが込められている。

コメントを残す