歳を取ると欲望がなくなるのではない。質が変化するのである。若い時には雑多に我と我が身を占めていた欲望が、整理されるのである。単純化されるのである。あの、灼けつくような欲望は今はない。激しい渇望も去った。いってみれば、生きが悪くなったのである。しかし、私は、今のこの自分が好きである。私にとって、今いるこの場所、この時が私の人生なのである。少し、生きは悪くなったが、私には、毎日することがたくさんある。希望が胸の中に湧いて来るのである。私にはまだまだかくされた能力があると、自分なりに思っているのである。その能力を探し発揮していくことが、生きることなのである。
しかし、私は、今のこの自分が好きである。私にとって、今いるこの場所、この時が私の人生なのである。少し、生きは悪くなったが、私には、毎日することがたくさんある。希望が胸の中に湧いて来るのである。
98歳で亡くなった宇野千代。父の俊次は「バルザックかドストエフスキーの小説にしか出て来ないような一種の奇人ないし狂人」で、「馬を何頭も飼って競馬に出し、博打もし、あらゆる道楽をし、放蕩を極めた」とのこと。波乱万丈の人生を経て有名な小説家となった宇野は「生きていく私」を刊行する。自分の波乱万丈の生き方をエッセイにまとめたものだ。宇野千代の人生は父と同じ「放蕩」そのものだ。次から次へと男を変え、それでも前を向き生きていく。一生人生を幸福に生きる。誰でも見習いたいものだが、そうやって生きれる人は少ない。捨てなければいけない物が多すぎるのだ。でももし簡単に捨てれる人ならこんな人生が可能だ。
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