日曜日

昨日は急に夕立が降った。いつもそんなときにはオーストリアのザルツブルグでの夕立を思い出す。山間の町では夏夕立が降る。1時間もすれば止んで涼しくなる。ここには何回も行った。モーツアルトの生家、ザルツカンマーグートなどはもちろん。仕事はだいたい一日二日で終わるので空いた日にいろんなところに行った。

どうやったらそうなれるのかを聞く日本のサラリーマンは多い。私のような生き方を私は勧めない。私はいろんなものを捨ててきたからだ。人生という旅は重い荷物を背負っていては続けられない。私は東芝セラミックスに入社にして誰も考えのつかない製品を作ろうと思っていた。夜遅くまで会社の図書館にいて文献を読み漁った。そして自分で実験装置を作り、実験し、特許を書いた。この特許が私を有名にした。月に一報くらい書いただろうか、筆頭発明者は入社したての私である。社内の報告書には難解な方程式が並ぶ。自分が作ったものを自分で顧客に売り込む。普通のサラリーマンではありえないようなことをやって、私の名前は既に二十代で世界に知られていた。社内では敵半分味方半分と言うところであろうか。しかし、このまま東芝セラミックスにい続けたら、おそらく今の私にはなれなかった。30で東芝セラミックスをやめて信越化学に転職した。そうやって何社か転職し、楠和クオルツに入ったのは大きな転機だった。技術、製造、品質すべてを兼務でやった。そしてこの時、世界のお客さんに行ってプレゼンした。アジア、アメリカ、ヨーロッパ。日本では土、日も働き、ゆっくりできるのは海外で空いた時間だけだった。その当時、格安チケットは4日以上となっており、一日二日は自由な時間があった。一人で美術館に行ったり、城に行ったりした。

何かリスクがあることをやろうとするとき、重い荷物を背負っていては何もできないものだ。常に必要なものだけをもち、それも捨てることが出来なければ価値を得ることはできない。二兎を追うものは一兎も得ずである。若い時の私にはそんな考え方に凝り固まっていた。まあ今は歳をとったのでこれ以上を求めることがなくなったせいか、そういうことは思わなくなった。人生100年、孫正義のように85歳まで働き、後の15年をどうやって過ごすのか決まっていないけれど、65歳まではがむしゃらに働き、それからの人生を社会貢献と言う人生の締めを行うこともいいのかもしれない。

コメントを残す